架空野球Wikiデータベース
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この記事では架空野球シリーズの架空の人物・団体等についての情報が記されています。現実の人物・団体等とは一切関係ありません


中森 匠(なかもり たくみ、1990年4月18日 - )は、三重県度会郡度会町出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴[]

プロ入り前[]

三重学園高では西井隆也とバッテリーを組み、最速147キロのストレートとスライダーを武器にエースとして活躍。甲子園には1年夏・2年春・3年春夏と4季に出場した。

甲子園では、1年夏は松山亮太を擁した群馬・総武大前橋と対戦し初戦で敗退。2年春は、西井が2回戦で2打席連続本塁打を放つなどの活躍でベスト8へ進出した。3年春は準々決勝で、大塚能久を擁した神奈川・横浜中央に敗れ2年連続でベスト8。3年夏は初戦を幸先よく勝利し、2回戦で前田颯真擁する広島・関工大福山高と対戦しこれも勝利。3回戦では上田真悟を擁する岡山・山陽大附属と対戦し、俊足で知られ3年夏の大会で甲子園2回戦までに8回の盗塁企図を全て成功させていた上田を自慢の強肩で刺す活躍もあって勝利した。準々決勝も勝利するが、準決勝では大塚のいる横浜中央と対戦し、再び敗れている。

高校ではプロ志望届を提出せず、東城大に進学。東城大では通算8季で64試合に登板し、18勝を挙げる活躍を見せた。

2012年ドラフトでは、大阪ゴールドモンキーズが外れ1位で指名して入団。入団当時の背番号は18

プロ入り後[]

ルーキーイヤーの2013年は春季キャンプ、オープン戦を一軍で過ごし、そのまま開幕ローテーションの一角に入る。3試合に先発したが0勝2敗、防御率7.15に終わり、4月中旬に登録を抹消されて以降は一軍での登板はなかった。

2014年は救援要員として38試合に登板、ここでプロ初勝利を挙げたほか、10ホールドをマークした。

2015年は先発に戻るが3敗と結果を残せず、リリーフに戻って14試合に登板。トータルでは18試合に登板し、防御率5.59だった。

2016年は15試合の登板で防御率5.40に終わる。

2017年は5試合の登板に終わる。オフに背番号を43に変更。

2018年は6試合に登板するも一軍定着はならなかった。

2019年は二軍でも不振で、サイドスローへの天候も実らずプロ入り初の一軍登板なしに終わった。

2020年は2年振りに一軍に復帰したが、3試合の登板に終わった。

2021年は一軍での登板機会がなく、オフに戦力外通告を受けて現役を引退した。

現役引退後[]

現役引退後も大阪に残り、2022年からは球団本部アマスカウトに就任した。

選手としての特徴・人物[]

大学時代は最速151キロのストレートに切れ味鋭いスライダーを決め球として活躍していた。

2019年からはサイドスローに転向している。

詳細情報[]

年度別投手成績[]





















































W
H
I
P

2013 大阪 3 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 11.1 13 1 4 0 1 7 0 0 10 9 7.15 1.50
2014 38 0 0 0 0 1 3 0 10 .250 37.1 40 2 6 1 2 33 0 0 16 15 3.62 1.23
2015 18 4 0 0 0 0 3 0 1 .000 29.0 33 3 8 0 0 18 2 0 18 18 5.59 1.41
2016 15 0 0 0 0 0 0 0 1 .--- 15.0 16 2 4 0 1 12 0 0 9 9 5.40 1.33
2017 5 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- 4.2 4 1 4 0 0 3 0 0 4 4 7.71 1.71
2018 6 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- 5.0 5 1 3 0 0 3 0 0 4 4 7.20 1.60
2020 3 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- 2.2 3 2 2 0 0 2 0 0 3 3 10.13 1.88
通算:7年 88 7 0 0 0 0 0 0 12 .111 105.0 114 12 31 1 4 78 2 0 64 62 5.31 1.38

タイトル[]

表彰[]

記録[]

背番号[]

  • 18(2013年 - 2017年)
  • 43(2018年 - 2021年)

関連項目[]

大阪ゴールドモンキーズ 2012年ドラフト指名選手
1位:中森匠 | 2位:xxx | 3位:xxx | 4位:xxx | 5位:xxx | 6位:xxx
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