中野 和之(なかの かずゆき、1980年4月19日 - )は、大阪府堺市南区出身のプロ野球選手(内野手)。
来歴[]
プロ入り前[]
大阪府堺市出身。高校は北海道の碧陵学院へ野球留学し、2年秋からレギュラー。3年春センバツ、3年夏甲子園の2季に「5番・三塁手」として出場した。高校通算35本塁打。
山ノ手大へ進学後は一時期外野手へコンバートされ、3年時に一塁手へ再コンバート。ベンチ入りはその3年春からと遅咲きだったが、通算4季で37試合に出場し打率.270、9本塁打を記録した。
2001年ドラフトでは上位候補として注目され、北海道ホワイトフォックスが3巡目で指名し、入団した。
北海道ホワイトフォックス時代[]
2003年は一塁手のレギュラー不在というチーム事情もありオープン戦から積極的に起用されて、結果を残したことでルーキーながら新人開幕スタメン入りを果たす。開幕当初はルーキーながら打率が3割を超えるなど好調だったが、6月ごろから疲労で成績が降下し、シーズン終盤はベンチを温める時期が続いた。最終的には113試合に出場。打率.214、6本塁打15打点と低調な成績に終わった。
2004年は前年の秋季キャンプ、そして春季キャンプでの猛練習が功を奏し、オープン戦首位打者となる。そのまま2年連続で開幕スタメン入りを果たすと一気に一塁手のレギュラーに定着し、136試合に出場して打率.276、18本塁打48打点と成績を上昇させた。
2005年開幕から2008年途中までは全試合フルイニング出場を果たす。特に2005年に自身初のシーズン30発越え(34本)を記録すると、2006年からは4年連続でシーズン40本塁打を記録し、2005年・2006年、2008年には100打点越えを記録。2010年に5年ぶりに40本塁打を割ったもののそれでも30本越えは維持し、2005年から2011年まで6年連続で打率3割をマークした。
タイトルは2007年に打率.330、45本塁打109打点を記録して三冠王を獲得。本塁打王(2007年、2009年、2011年)、首位打者(2007年)、打点王(2006年、2007年、2009年)、最高出塁率(2007年、2009年、2010年)、ベストナイン(2005~2011年)などタイトルを総なめし、2000年代を代表する一塁手として活躍を続けた。また野球W杯の日本代表には2006年、2009年に選出。2大会とも正一塁手として、チームの優勝にも貢献した。一方で2010年にはプロで初めて外野手(左翼手)として2試合にスタメン出場している。
2011年シーズン終了後、フロントが中野に対しFA権行使を促す内容を示唆。中野は当初残留を希望していたが、結局はフロントに押し出される形でFA権を行使した。獲得には東京ライオンズ、大阪ゴールドモンキーズ、福岡レッドユニコーンズの3球団が名乗りを上げ、各球団との交渉の結果12月に東京と合意。4年最高12億円(変動制)+出来高(推定)で移籍した。
東京ライオンズ時代[]
移籍1年目の2012年は、当初の期待通り一塁手のレギュラーとして活躍していたが、技巧派の多いセ・リーグの投手に厳しい内角攻めを食らうなどして調子を崩し、最終的には打率.290、33本塁打96打点と打率3割、100打点の継続記録が途絶えた。ベストナイン、ゴールデングラブこそ受賞はしたものの、打撃タイトルを獲得することが出来なかった。
2013年も引き続き一塁手のレギュラーとして活躍。打率.322と持ち直したものの、得点圏打率が伸び悩み打点が85に留まった。
2014年は途中死球によるケガもあって128試合出場と若干落ち込み、成績も打率.275、22本塁打58打点と低迷。ベストナイン、ゴールデングラブ賞には選出されず、連続受賞記録がベストナインは9年、ゴールデングラブ賞は7年で途絶えた。
2015年はオープン戦でアキレス腱痛を発症し、自身初となる開幕二軍スタートを余儀なくされた。シーズン中盤に一軍に復帰したもののスタメン出場は38試合に激減し、成績も打率.242、6本塁打18打点と低迷した。オフに年俸が、これまでの2億5000万円から、減額制限を大きく超える80%ダウンの5000万円を提示されたが、中野は一発でサインした。
2016年は完全に代打要員になってしまい、昨年下回った試合数をさらに下回る、プロ最小の44試合出場に留まった。打率こそ.279と持ち直したが、4本塁打14打点はこちらもプロに入ってから自己最小の数字に落ち込んだ。オフに東京から再び減額制限を超える60%ダウンの2000万円を提示されるが、今度はそれを拒否して自由契約を選択。同時に2度目のFA権を行使した。その後東海グランパスが獲得に名乗りを上げ、2016年と同じ年俸5000万円+出来高(推定)で契約合意した。
東海グランパス時代[]
東海移籍1年目の2017年は当初から「代打が自分の仕事場」と言い切り、オープン戦は二軍で打席数を稼いで調整。開幕直前に一軍昇格し、そのまま開幕一軍を迎えた。シーズンでは77試合に出場し、打率.271、4本塁打14打点を記録。若いチームの精神的支柱としても役割を果たし、チームの2位躍進に貢献した。
2018年も代打の切り札として勝負強さを発揮し、61試合で打率.258、3本塁打13打点を記録。8月には通算400本塁打も達成するなど、ベテランとしてチームを引っ張り、チームのリーグ優勝・日本一に貢献した。
2019年は打撃不振で出場機会が前年より半減。本塁打も自己最小の1本に留まるなど、衰えを見せたシーズンとなってしまった。
2020年は怪我の影響もありながら44試合に出場し、代打の切り札として打率3割をマークするなど復活を見せた。
2021年は前年に引き続き代打の切り札として活躍を見せ、64試合の出場で通算2000試合出場を達成、また17安打を放った。
2022年は52試合に出場し、代打で打率3割を記録。シーズン最終打席で通算2000本安打を達成した。
選手としての特徴・人物[]
プロ入り当初から打撃練習ではスタンドインを連発するほどパワーには定評があったが、ミート力に課題を残していた。プロ入り時はスタンダードにバットを後ろに構える打撃フォームを取っていたが、1年目終了後に打撃コーチの指導を受けて神主打法へとフォームを改造。これが功を奏し、2年目以降の活躍へとつながった。また選球眼にも優れ、プロに入ってから2017年現在まで出塁率が3割を下回ったシーズンがない。
ホームランバッターとしては三振数は多くなく、首位打者の獲得経験があり6年連続を含む7回の規定3割を達成している通りミート力も優れている。
走塁は大学時代に50m6秒4を記録。盗塁を仕掛けることは滅多にないが極端に走塁が下手というわけではなく、2007年には25本の二塁打を記録している。しかし近年はアキレス腱を痛めた影響で、代打で登場してすぐに代走を出されるケースも増えている。
守備は当初プロのスピードに慣れられず失策を重ねていたが、こちらも猛練習で克服。7年連続でゴールデングラブ賞を受賞している通り、守備にも定評があった。しかしこちらも近年アキレス腱を痛めてから守備範囲が狭くなってしまっている。
詳細情報[]
年度別野手成績[]
年 |
球 |
試 |
打 |
打 |
得 |
安 |
二 |
三 |
本 |
塁 |
打 |
盗 |
盗 |
犠 |
犠 |
四 |
敬 |
死 |
三 |
併 |
打 |
出 |
長 |
O |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 北海道 | 113 | 311 | 271 | 58 | 6 | 0 | 6 | 80 | 19 | 1 | 0 | 0 | 3 | 35 | 4 | 2 | 68 | 5 | .214 | .305 | .303 | .608 | |
2004 | 136 | 508 | 442 | 122 | 18 | 0 | 18 | 194 | 48 | 1 | 1 | 0 | 2 | 56 | 5 | 8 | 85 | 9 | .276 | .366 | .439 | .805 | ||
2005 | 146 | 650 | 572 | 163 | 19 | 0 | 34 | 284 | 88 | 1 | 1 | 0 | 3 | 71 | 7 | 4 | 79 | 4 | .285 | .366 | .497 | .863 | ||
2006 | 146 | 649 | 569 | 175 | 14 | 0 | 42 | 315 | 110 | 0 | 0 | 0 | 6 | 68 | 12 | 6 | 71 | 1 | .308 | .384 | .554 | .937 | ||
2007 | 144 | 653 | 566 | 187 | 25 | 1 | 45 | 349 | 109 | 0 | 1 | 0 | 3 | 81 | 14 | 3 | 69 | 5 | .330 | .415 | .617 | 1.032 | ||
2008 | 140 | 642 | 558 | 169 | 18 | 0 | 40 | 307 | 97 | 0 | 1 | 0 | 5 | 73 | 11 | 6 | 82 | 9 | .303 | .386 | .550 | .936 | ||
2009 | 144 | 658 | 567 | 178 | 16 | 0 | 46 | 332 | 115 | 0 | 0 | 0 | 5 | 82 | 17 | 4 | 68 | 4 | .314 | .401 | .586 | .987 | ||
2010 | 138 | 615 | 531 | 166 | 18 | 1 | 34 | 288 | 95 | 0 | 0 | 0 | 4 | 76 | 14 | 4 | 79 | 10 | .313 | .400 | .542 | .842 | ||
2011 | 141 | 613 | 529 | 162 | 14 | 0 | 30 | 266 | 106 | 0 | 1 | 0 | 6 | 75 | 10 | 3 | 72 | 12 | .306 | .392 | .503 | .894 | ||
2012 | 東京 | 141 | 615 | 535 | 155 | 14 | 0 | 33 | 268 | 96 | 0 | 0 | 0 | 6 | 68 | 7 | 6 | 67 | 10 | .290 | .372 | .501 | .873 | |
2013 | 144 | 617 | 538 | 173 | 13 | 0 | 34 | 286 | 85 | 0 | 0 | 0 | 4 | 70 | 5 | 5 | 72 | 13 | .322 | .402 | .535 | .937 | ||
2014 | 128 | 490 | 444 | 122 | 5 | 0 | 22 | 193 | 58 | 0 | 0 | 0 | 3 | 39 | 3 | 4 | 70 | 8 | .275 | .337 | .435 | .771 | ||
2015 | 64 | 150 | 132 | 32 | 2 | 0 | 6 | 52 | 18 | 0 | 0 | 1 | 1 | 16 | 2 | 0 | 25 | 3 | .242 | .322 | .394 | .716 | ||
2016 | 44 | 93 | 86 | 24 | 1 | 0 | 4 | 37 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 1 | 15 | 2 | .279 | .333 | .430 | .764 | ||
2017 | 東海 | 77 | 136 | 118 | 32 | 4 | 0 | 4 | 48 | 14 | 0 | 0 | 0 | 1 | 16 | 3 | 1 | 21 | 5 | .271 | .360 | .407 | .767 | |
2018 | 61 | 101 | 89 | 23 | 1 | 0 | 3 | 33 | 13 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 | 2 | 2 | 19 | 4 | .258 | .337 | .371 | .707 | ||
2019 | 38 | 64 | 56 | 13 | 2 | 0 | 1 | 18 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 12 | 3 | .232 | .313 | .321 | .634 | ||
2020 | 44 | 56 | 49 | 15 | 3 | 0 | 1 | 21 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 2 | 0 | 11 | 3 | .306 | .375 | .429 | .804 | ||
2021 | 64 | 64 | 57 | 17 | 2 | 0 | 2 | 25 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 1 | 1 | 9 | 0 | .298 | .344 | .439 | .782 | ||
2022 | 52 | 52 | 46 | 14 | 2 | 0 | 1 | 17 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 8 | 0 | .304 | .365 | .413 | .778 | ||
NPB:19年 | 2105 | 7737 | 6755 | 2000 | 197 | 2 | 406 | 3417 | 1114 | 3 | 5 | 1 | 58 | 863 | 120 | 60 | 1002 | 110 | .296 | .378 | .506 | .884 |
タイトル[]
- 首位打者:1回(2007年)
- 本塁打王:3回(2007年、2009年、2011年)
- 打点王:3回(2006年、2007年、2009年)
- 最高出塁率:3回(2007年、2009年、2010年)
表彰[]
- 最優秀選手:1回(2007年)
- ベストナイン:9回(2005年 - 2013年)
記録[]
- 三冠王:1回(2007年)
- オールスターゲーム出場10回(2005年 - 2014年)
背番号[]
- 3(2017年 - )
登場曲[]
- 「全力少年」スキマスイッチ
関連項目[]
東海グランパス 2024 | |
監督・コーチ | |
監督 | 74 安達真一郎 |
一軍コーチ | 77 高垣雅久(ヘッド) | 76 山口敦哉(投手) | 78 大森尚哉(投手) | 72 大嶺嘉久(打撃) | 80 早川照信(打撃) | 84 中里賢(内野守備走塁) | 75 伊地知嘉治(外野守備走塁) | 81 水沢孝人(バッテリー) | 92 小川猛也(コンディショニング) | 93 栖原直哉(コンディショニング) |
二軍監督・コーチ | 71 北村昇平(監督兼外野守備走塁) | 73 青木祐一郎(投手) | 88 成田寿浩(投手) | 86 長谷川元樹(打撃) | 82 近藤凌介(打撃) | 89 脇谷良照(内野守備走塁) | 91 高橋淳(バッテリー) | 94 日笠裕典(コンディショニング) |
三軍監督・コーチ | 96 松原拓哉(監督兼内野守備走塁) | 79 小山忠久(投手) | 85 荻原俊介(打撃) | 83 森良太郎(外野守備走塁)| 87 岡崎一矩(バッテリー) | 95 高橋雅人(コンディショニング) |
支配下選手 | |
投手 | 11 関慶裕 | 12 神野知希 | 13 荒木直矢 | 14 櫻井政康 | 15 藤澤雅親 | 16 柿原翔也 | 17 新井優翔 | 18 桑原雄大 | 19 丹羽大賀 | 20 尾崎輝 | 21 安達峻 | 23 菊池健太朗 | 26 佐伯勇吏 | 27 神坂郁祐 | 28 小松海士 | 29 宮﨑涼輔 | 30 井上雅哉 | 31 村田怜 | 32 前田蓮 | 33 十文字蒼空 | 34 大崎聖弥 | 40 河合基博 | 41 西郷悠輔 | 44 中田陸 | 48 風間由伸 | 58 マロッキ | 60 平野翔悟 | 61 大下将俊 | 63 重本駿斗 | 64 北村蓮 | 65 高瀬知規 | 67 大野翔 | 69 アリアス | 98 花田広生 | 99 ミランダ |
捕手 | 2 結城智也 | 22 子日貴啓 | 38 西尾隼汰 | 52 原敬志朗 | 57 山内航基 | 62 水谷徹 |
内野手 | 0 渡邉貴裕 | 1 清水聖貴 | 5 小野塚将崇 | 6 桜井将希 | 9 渡辺和真 | 10 森本洸佑 | 24 渡辺翔太 | 31 祖父江優也 | 36 澤井夏希 | 39 篠原智隆 | 47 高谷祐希 | 50 川島陽太 | 53 坪内加津佐 | 54 大橋優里 | 55 大下知恭 | 59 杉山悠生 | 70 佐藤涼真 |
外野手 | 7 新田拓也 | 8 上田真悟 | 25 稲垣大翔 | 35 ロドリゴ | 37 牧野敬将 | 42 ジョンソン | 45 山名星芽 | 46 吉竹力弥 | 51 折笠勇気 | 56 原口陽太 | 68 太田一星 | 90 バルデス | 97 岩城俊也 |
育成選手 | |
投手 | 201 広沢武蔵 | 211 石毛千晴 | 215 嶋孝太 | 219 田尻照喜 | 221 前原和希 | 223 浦田尚成 | 225 松尾維斗 | 231 曽我大弥 | 232 渋沢達郎 | 233 権藤崇史 | 234 米倉哲也 | 243 グリエル | 245 ヒメネス |
捕手 | 202 嶋田勇輝 | 203 小倉塁 | 208 宇佐美虎南 | 212 増田創太 |
内野手 | 204 三浦剛 | 205 野口甲斐斗 | 206 工藤大志 | 210 菅歩紀 | 213 三村雄吾 | 214 三村礼士 | 220 丸山竜平 | 226 猪子寛人 | 237 秦航祐 | 244 ペーニャ | 264 日吉健汰 |
外野手 | 209 林瑞樹 | 222 芝晶 | 224 瀬良誠 | 246 イノア |