前山 聖人(まえやま まさと、1990年6月29日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。
来歴[]
プロ入り前[]
小学生時代にリトルリーグで野球を始めた当初から投手を務め、中学生時代はシニアリーグに所属していた。
研智学院和歌山高では2年秋からエース。3年春・夏と連続で甲子園に出場しその原動力となった。3年春のセンバツは2回戦で敗退したが、夏の甲子園はベスト8まで進出。準々決勝でこの年準優勝した東神奈川・横浜中央の大塚能久と投げ合い、0-2で敗れた。
高校時代はプロ志望届を提出せず、卒業後に文政大学へ進学。文政大では右肘のケガがあって登板機会は2年春・秋と4年春・秋の計4季のみだったが、少ない登板機会数で好投している。
2012年ドラフトで、北海道ホワイトフォックスから3位指名を受けて入団。当時の背番号は39。
北海道ホワイトフォックス時代[]
ルーキーイヤーの2013年は二軍で先発として登板したが、1勝8敗と結果を残せず一軍昇格がなかった。
2014年に一軍デビューを果たし、リリーフを中心に15試合に登板。プロ初勝利を記録した。
2015年は先発ローテーションの谷間に登板して6試合に投げ、2勝をマークした。
2016年はリリーフで8試合の登板に留まる。オフにxxx、xxxとの交換トレードで、山本恭隆とともに神戸セネタースへ移籍した。背番号は28。
神戸セネタース時代[]
移籍1年目の2017年は6試合に登板したが、目立った成績を残せなかった。オフに、背番号を58に変更した。
2018年は二軍でも不振で、ルーキーイヤーの2013年以来5年ぶりに一軍登板がなかった。
2019年も一軍登板話に終わり、オフに戦力外通告を受ける。トライアウトを受験したが獲得する球団は現れず、オフに現役を引退した。
選手としての特徴・人物[]
最速140キロ台中盤のストレートと、スライダー、カットボール、カーブ、チェンジアップなど豊富な変化球を操る右の技巧派。
詳細情報[]
年度別投手成績[]
年 |
球 |
登 |
先 |
完 |
完 |
無 |
勝 |
敗 |
セ |
ホ |
勝 |
打 |
投 |
被 |
被 |
与 |
敬 |
与 |
奪 |
暴 |
ボ |
失 |
自 |
防 |
W |
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2014 | 北海道 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | .500 | 19.0 | 20 | 2 | 6 | 0 | 1 | 13 | 0 | 0 | 12 | 11 | 5.21 | 1.37 | |
2015 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 22.0 | 23 | 1 | 6 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 10 | 10 | 4.09 | 1.32 | ||
2016 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 9.0 | 8 | 2 | 3 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 4 | 4 | 4.00 | 1.22 | ||
2017 | 神戸 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 6.0 | 8 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 5 | 7.50 | 1.67 | |
NPB:4年 | 35 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 56.0 | 59 | 6 | 17 | 0 | 1 | 38 | 1 | 0 | 31 | 30 | 4.82 | 1.36 |
タイトル[]
表彰[]
記録[]
背番号[]
- 39(2013年 - 2016年)
- 28(2017年)
- 58(2018年 - 2019年)