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この記事では架空野球シリーズの架空の人物・団体等についての情報が記されています。現実の人物・団体等とは一切関係ありません


木下 恵吾(きのした けいご、1991年8月23日 - )は、大阪府柏原市出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴[]

プロ入り前[]

小学生時代はソフトボールをやっており、中学進学と同時に野球へ転向。当初は内野手を務めていた。

泉岳館高に進学後は投手に転向、2年秋からエースの座に就き、3年夏の甲子園では府大会全試合に登板。決勝では栗本駿豊島将吾を擁しこれまで4季連続で甲子園に出場していた東摂学園を完封で破り、母校を初の甲子園出場に導いた。甲子園では初戦で勝利したものの、続く2回戦で敗退。

2009年ドラフトでは愛媛ブルークラウンズが4位で指名し、入団。

プロ入り後[]

2010年、2011年は二軍で登板を重ね、プロ3年目の2012年に一軍デビューを果たす。2012年は9試合の先発を含む11試合に登板し、3勝5敗、防御率3.93をマークした。

2013年は崩れかかった先発ローテを補強するために14試合に先発。6勝4敗、防御率4.02を記録し、一定のアピールに成功したシーズンとなった。

2014年は21試合に先発し、規定投球回には満たなかったものの概ね1年を通して先発ローテに定着。8勝9敗、防御率4.32を記録した。

2015年は怪我もあり、登板数が8に減少。2勝3敗、防御率5.63と振るわなかった。

2016年は13登板のうち9試合に先発し、3勝5敗、防御率4.85。

2017年は8試合に先発し、3勝2敗、防御率4.47と前年より成績をやや良化させた。

2018年は夏場に一軍の先発ローテに入り、7試合に登板。2勝2敗、防御率4.97とやや成績が悪化した。

2019年は前年より登板機会を増やし、9試合に先発して3勝4敗、防御率4.01を記録した。

2020年は一軍登板がなく、オフに戦力外通告を受けて現役を引退した。

現役引退後[]

2021年からは愛媛の打撃投手を務める。

選手としての特徴・人物[]

ストレートの最速は140キロ台中盤。変化球はこれと言った決め球はないが、スライダー、カーブ、フォーク、シュートなど多彩な変化球で打たせて取るピッチングを展開する。

詳細情報[]

年度別投手成績[]





















































W
H
I
P

2012 愛媛 11 9 0 0 0 3 5 0 0 .375 52.1 46 4 19 1 3 38 2 2 25 22 3.93 1.29
2013 20 14 0 0 0 6 4 0 1 .600 85.0 81 6 20 0 1 62 4 0 43 38 4.02 1.19
2014 24 21 1 0 0 8 9 0 0 .471 135.1 122 11 46 2 3 108 1 1 69 65 4.32 1.24
2015 8 6 0 0 0 2 3 0 0 .400 32.0 33 5 10 0 0 22 1 0 22 20 5.63 1.34
2016 13 9 0 0 0 3 5 0 0 .375 52.0 54 5 16 0 1 34 1 0 29 28 4.85 1.35
2017 8 8 0 0 0 3 2 0 0 .600 44.1 44 4 19 0 1 29 1 0 24 22 4.47 1.42
2018 7 6 0 0 0 2 2 0 0 .500 29.0 32 3 10 0 0 20 2 0 19 16 4.97 1.45
2019 9 9 0 0 0 3 4 0 0 .429 49.1 50 3 13 0 3 36 2 0 24 22 4.01 1.28
NPB:8年 100 82 1 0 0 30 34 0 1 .469 477.1 462 41 153 3 12 349 14 3 255 233 4.39 1.29

タイトル[]

表彰[]

記録[]

背番号[]

  • 50(2010年 - 2020年)
  • 207(2021年 - )

関連項目[]

愛媛ブルークラウンズ 2009年ドラフト指名選手
新人選手選択会議 1位:xxx | 2位:xxx | 3位:xxx | 4位:木下恵吾 | 5位:中嶋晋平 | 6位:xxx
育成選手選択会議 1位:xxx
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