架空野球Wikiデータベース
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この記事では架空野球シリーズの架空の人物・団体等についての情報が記されています。現実の人物・団体等とは一切関係ありません


松山 亮太(まつやま りょうた、1987年4月14日 - )は、群馬県前橋市出身のプロ野球選手(外野手)。

来歴[]

プロ入り前[]

中学時代は軟式野球部で投手を務め、総武大前橋高へ進学後外野手兼2番手投手という形でプレー。投手としては最速140キロの速球とフォークボールを武器に主にリリーフを務める傍ら、打者としては1年秋から3番を担い高校通算42本塁打。チームは2年夏と3年夏の2年連続で甲子園に出場を果たし、3年夏はベスト4。松山は2年夏に1本、3年夏に2本の本塁打を甲子園で放っている。

2005年高校生ドラフトでは、東海グランパスから外野手として3巡目指名を受けて入団。入団当時の背番号は46

東海グランパス時代[]

2006年、2007年は二軍で和製大砲候補として英才教育を受け、特に二軍では2007年に21本塁打をマークして本塁打王を獲得した。翌2008年に一軍デビューを果たし、プロ初安打を記録。しかし2009年以降、二軍では不動の4番を務めて本塁打を量産する一方、一軍ではそのスピードについていけず結果を残せない状態が続いていた。

背番号を24に変更した2011年にこれまでの通算出場数を1年で上回る78試合に出場、後半戦からは積極的にスタメン起用されて一軍定着の足掛かりをつかむ。成績こそ打率.226と確実性には欠けたが、8本塁打をマークしてパンチ力の片鱗を示したシーズンとなった。

2012年にブレイクを果たし、この年は5月から「3番・中堅手」を確保。これまでのフルスイングからミート重視のスイングを意識づけたことで、自身初の規定打席に到達した上にリーグ2位の高打率である.322を記録した。8本塁打は自己最多タイ、46打点は自己最多。

2013年は再び打撃スタイルをフルスイングに戻し、結果として打率は.278と昨季から5分以上落ち込んだものの狙いである本塁打は大幅に増加して28本塁打、91打点を記録。7月には自身初のオールスターゲーム出場を果たしたほか、アンソニー・カブレラアレックス・バーネットとクリーンナップを張り、小野塚将崇ホセ・メンドーサを加えて20本塁打カルテットを形成した。

2014年はクリーンナップの座を小野塚に譲りはしたものの、その後を担う6番打者としてシーズン142試合に出場。シーズン途中からはカブレラに代わって一塁手として先発出場することもあった。成績では打率が.249と昨季よりさらに悪化したものの、24本塁打66打点を記録している。

2015年は中堅手として104試合、一塁手として33試合に出場。しかし26本塁打を放ちながら、打率が.242と若干ながら低下した。

2016年は同じ外野手でレギュラーを期待された新田拓也が4月下旬に離脱したこともあり、左翼手として41試合、中堅手として76試合、一塁手として20試合、指名打者として1試合と多くのポジションで先発出場を果たす。その結果か打率が.221と規定打席到達者ではワースト2位の低打率に喘ぎ、22本塁打56打点とポイントゲッターとしても不本意な成績に終わってしまった。

2017年はさらに不振に喘ぎ、外野手のレギュラーをこの年来日した許政豪に明け渡した上に外野手としてスタメン出場がなく、一塁手としても50試合のみの留まった。最終的には打率.219、4年連続20発が途絶え8本塁打、5年ぶりに出場試合数が100試合を割って規定打席にも届かないなど絶不調のままでシーズンを終えてしまった。

2018年も不振で出場機会が減少し、64試合で4本塁打、打率.229と低迷。この年チームは日本一に輝いたが、後半以降は二軍暮らしが続き、クライマックスシリーズ、日本シリーズでは40人枠への登録こそあったもののベンチを外れる試合も多く、出場はクライマックスシリーズで1打席、日本シリーズでは2打席のみだった。

2018年オフに、この年取得した国内FA権を行使。東北グリーンブレーブスが獲得の意思を表明し、11月下旬に3年総額2.55億+出来高、背番号8の条件で合意して移籍した。

東北グリーンブレーブス時代[]

移籍初年度の2019年は右翼手のレギュラーとして期待され、途中怪我による戦線離脱はあったものの119試合に出場。3年振りに規定打席に到達し、打率.249、18本塁打55打点を記録した。この年通算1000試合出場、通算4000打席を達成している。

2020年は開幕から好調で一時は打率3割を超える活躍を見せ、7年振りにオールスターゲームにも選出される。後半戦に調子を落としたものの、最終的には132試合に出場し打率.278、15本塁打52打点をマークした。この年通算1000本安打、通算150本塁打、通算500打点を達成している。

2021年は一転開幕直後から不調で、調子の上がり切らないままシーズンが終わってしまった。最終的には122試合の出場で打率.248、14本塁打46打点と移籍後最低の数字に終わっている。

2022年は怪我や不振が重なり、88試合の出場に留まって打率.218、9本塁打33打点と低迷してしまった。

選手としての特徴・人物[]

高校通算42本塁打の長打力と遠投90mの肩、そして50m6.2秒の足と走攻守を平均以上のレベルで兼ね備えている。打撃成績ではパンチ力があり、二塁打の数が多め。

守備は派手さこそないが外野手、一塁手ともに堅実にこなす。

通年の傾向として左投手に強く、2015年は26本塁打中22本、2016年は22本塁打中19本、2017年は8本塁打中7本が左投手から放ったものだった。

詳細情報[]

年度別野手成績[]

















































O
P
S

2008 東海 11 9 9 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .222 .222 .222 .444
2009 13 20 19 4 0 0 0 4 0 0 1 0 0 1 0 0 8 0 .211 .250 .211 .461
2010 18 31 28 5 1 0 0 6 1 1 1 0 0 3 0 0 10 1 .179 .258 .214 .472
2011 78 205 186 42 6 0 8 72 26 2 0 0 3 14 1 2 35 2 .226 .283 .387 .670
2012 136 540 497 161 25 6 8 222 46 5 2 0 3 36 2 4 43 2 .324 .372 .447 .819
2013 144 595 539 150 20 4 28 262 91 4 1 0 5 46 4 5 84 9 .278 .338 .486 .824
2014 142 601 542 135 25 0 24 232 66 4 2 0 6 46 6 7 91 8 .249 .313 .428 .714
2015 137 594 533 129 30 2 26 241 68 6 3 0 6 45 5 10 91 7 .242 .310 .425 .762
2016 142 609 548 121 19 2 22 210 56 2 1 0 4 52 7 5 103 9 .221 .292 .383 .675
2017 82 264 233 51 8 0 8 83 32 1 0 0 1 26 1 4 58 8 .219 .307 .356 .663
2018 64 173 157 36 4 0 4 52 18 0 0 0 1 14 0 1 42 3 .229 .295 .331 .626
2019 東北 119 461 409 102 15 0 18 171 55 7 3 0 6 41 4 5 81 9 .249 .321 .418 .739
2020 132 514 461 128 15 0 15 188 52 3 1 0 4 46 4 3 94 10 .278 .344 .408 .752
2021 122 459 420 104 16 0 14 162 46 1 1 0 3 35 3 1 94 6 .248 .305 .386 .691
2022 88 335 303 66 12 0 9 105 35 1 2 0 2 28 2 2 76 5 .218 .287 .347 .633
NPB:15年 1428 5410 4884 1236 196 14 184 1959 590 37 18 0 44 433 39 49 913 79 .253 .318 .412 .730

タイトル[]

表彰[]

記録[]

  • オールスターゲーム出場:2回(2013年、2020年)

背番号[]

  • 46(2006年 - 2010年)
  • 24(2011年 - 2018年)
  • 8(2019年 - )

関連項目[]

東海グランパス 2005年ドラフト指名選手
大学生・社会人 希望入団枠:浅井晃 | 3巡目:大森尚哉
高校生 1巡目:園田直人 | 3巡目:松山亮太 | 5巡目:xxxx
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