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この記事では架空野球シリーズの架空の人物・団体等についての情報が記されています。現実の人物・団体等とは一切関係ありません


神崎 眞吾(かんざき しんご、1980年6月29日 - )は、神奈川県厚木市出身のプロ野球選手(内野手)。

来歴

プロ入り前

小学生時代から野球を始め、当時は投手。地元厚木市の愛甲高へ進学後は1年秋からエースで4番として、投げては最速142キロのストレートとカーブを、打っては高校通算33本塁打の長打力を武器に活躍。チームは神崎が入学するまでは1回戦突破も困難な弱小校だったが、神崎ひとりの活躍で2年夏は9年ぶりの初戦勝利を果たして3回戦まで進出、3年夏はベスト16入りを果たした。甲子園出場はならなかったが、強豪ひしめく神奈川で投打に活躍する神崎はプロのスカウトからもひそかに注目を集めていた。

1998年ドラフトでは地元横浜マリナーズが指名することが予想されたが、横浜からの指名はなく、神崎にはゆかりのない愛媛ブルークラウンズから7位指名を受ける。縁もゆかりもない四国のチームで、しかも7位と言う下位指名だったと言うこともあり当初は指名拒否と大学進学を考えたものの、最終的には愛媛フロントの説得に折れて投手として入団を果たした。当時の背番号は59

プロ入り後

1999年、2000年は投手としてプレーしたものの、パッとした成績を残せなかった。2000年の秋季キャンプで首脳陣から野手転向を命じられ、三塁手に転向。同じく2000年のオフには背番号を41に変更している。

野手転向1年目となった2001年は主に三塁手としてプレー。1年間を通して二軍のレギュラーとして起用されて87試合に出場し、打率.257、7本塁打36打点の成績を残した。

2002年も引き続き三塁手として結果を残し、当時一軍で三塁手のレギュラーだった田崎直哉が足首の捻挫で二軍降格したこともあって、夏場の7月に投手・野手を通じて一軍に初めて昇格。12試合に出場し(うち三塁手5試合、一塁手1試合でスタメン出場)、打率.316、プロ初本塁打の1本に3打点を記録した。田崎の怪我が治ったあとに再び二軍に降格したものの、大きな爪痕を残したシーズンとなった。

2003年はレギュラー不在だった一塁手にコンバートされ、チーム最多となる76試合にスタメン出場。全体では92試合に出場し、打率.297、6本塁打28打点の成績を残す。

2004年は140試合すべてで一塁手としてスタメン出場を果たし、自身初の規定打席到達を経験。打率.301、22本塁打68打点を記録して、自身初のオールスターゲーム出場を果たした。オフに背番号を8に変更。

2005年からはクリーンナップを任され、打率を2年連続で3割に載せた。本塁打の数は15本と減ったが、打点は昨季と同じく68打点を記録してその役割を果たした。

2006年は2年ぶりに全試合出場を果たし、打率.328、27本塁打89打点を記録。打撃タイトルは逃したが、自身初の表彰となるベストナイン・ゴールデングラブを受賞した。ゴールデングラブ賞はこの後、2014年まで神崎の独壇場となった。

2007年は開幕から調子が上がらず、夏場以降は持ち直したものの打率が3年ぶりに3割を割った。それでも本塁打は昨季より増えて20本の大台に乗せている。

2008年は昨季と対照的に打撃が好調で、1年を通して3割を割ることなく打率.335を記録し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者を獲得。また2年ぶりにベストナインを受賞した。

2009年はWBC日本代表に選出されたが、予選プールで右足首に死球を受けて骨折しチームを離脱。その影響で、6年ぶりに開幕一軍・開幕スタメン入りを逃した。一軍には106試合に出場したが、骨折の影響が最後まで尾を引いて打率が2年ぶりに3割を割り、また規定打席にもわずか1個届かないなど不本意なシーズンとなった。

2010年は復活し、規定打席に乗せて打率.301、14本塁打を記録。

2011年は統一球導入の影響で打撃成績が冷え込み、レギュラー定着後では最低の数字となる打率.263を記録。本塁打も8年ぶりに1ケタの9本止まりとなってしまった。

2012年はさらに成績を落とし、打率.255、8本塁打とレギュラー定着後最低の数字を更新してしまった。

2013年は2年越しの不振から立ち直り、本塁打が3年ぶりに2桁を超えて14本塁打を記録。打率も.284と持ち直した。

2014年は前年より成績が漸減し、打率.278、11本塁打42打点に留まった。

2015年は腰痛を発症してしまい、本塁打が2年ぶりに1ケタ台に留まり、打率も.257と振るわず、9年連続で受賞していたゴールデングラブ賞も逃してしまった。

2016年も腰痛の影響で成績の劣化が止まらず、レギュラー定着後怪我以外では初めて、怪我を含めれば7年ぶりに規定打席に届かなかった。打率.249、6本塁打39打点。

2017年はペドロ・デラクルーズが入団し一塁手のレギュラーに定着したことで、ベンチを温める機会が多くなった。一方で代打の切り札として起用され、打率を再度3割に乗せ2度のサヨナラ本塁打(うち1本はサヨナラ満塁本塁打)を記録するなど、新境地を開いたシーズンとなった。

2018年も前年と同じく代打の切り札として一軍に常駐、高い集中力で2年連続でシーズン・代打打率ともに3割に乗せ、チームを支えた。またこの年に通算200本塁打を達成している。

2019年は51試合に出場し、通算2000試合出場を達成。この年も主に代打の切り札として起用され、打率.250、2本塁打15打点をマークしている。

2020年も代打の切り札として起用され、前年を上回る67試合に出場。惜しくもこの年の2000本安打達成はならなかったが、打率.289、2本塁打15打点をマークした。

2021年は62試合の出場で打率.246。この年、通算2000本安打を達成した。

選手としての特徴・人物

投手時代は最速142キロのストレートにカーブ、スライダー、フォークを持ち球としていた。制球はアバウトで四球や暴投が多く、2008年のインタビューでは「投手としては2年目の段階で既に限界を感じていましたね。野手転向のオファーがなければ、その年か次の年で現役を引退していたかも知れません」と語っている。

野手としてはシュアなバッティングが武器の中距離打者として活躍。5度の打率3割を記録するなど、広角に打ち分けるバッティングセンスには定評があった。選球眼にも優れ、四球が三振の数を上回るシーズンも多い。またキャリアを通してサヨナラの場面に強く、首位打者を活躍した2008年には5度のサヨナラ打(うち本塁打1本)を記録している。

守備は当初三塁手を務めており、野手転向直後から首脳陣の評価が高かった。一塁手へのコンバートはチーム事情によるものだったが、一塁手でも安定した守備を見せて幾度もゴールデングラブ賞を受賞している。しかし2015年に腰痛を発症して以降は、守備範囲が狭まってしまった。

詳細情報

年度別野手成績

















































O
P
S

2002 愛媛 12 23 19 6 1 0 1 10 3 0 0 1 0 3 0 0 5 1 .316 .409 .526 .935
2003 92 321 276 82 11 0 6 111 28 1 0 0 3 41 1 1 45 6 .297 .386 .402 .788
2004 140 602 528 159 21 0 22 246 68 1 1 0 6 65 3 3 64 9 .301 .377 .466 .843
2005 141 619 538 169 18 1 15 233 68 0 2 1 11 69 2 0 42 4 .314 .385 .435 .820
2006 146 636 561 184 22 1 27 289 89 2 0 1 6 65 6 3 38 2 .328 .397 .515 .912
2007 142 614 537 153 19 0 20 232 67 1 3 2 4 71 4 0 52 5 .285 .366 .432 .798
2008 144 629 549 184 24 2 24 284 77 1 0 1 7 70 8 2 29 3 .335 .408 .517 .925
2009 106 445 386 106 14 0 11 153 45 0 0 0 4 54 2 1 37 4 .275 .362 .396 .758
2010 138 565 491 148 20 0 14 210 63 1 0 0 8 65 2 1 39 2 .301 .379 .428 .806
2011 134 551 487 128 15 0 9 170 51 1 1 0 5 56 3 3 41 4 .263 .339 .349 .688
2012 140 550 490 125 17 0 8 166 36 0 0 0 3 56 1 1 44 3 .255 .331 .339 .670
2013 139 575 511 145 15 0 14 202 54 0 1 0 9 55 4 0 46 4 .284 .348 .395 .743
2014 133 547 478 133 13 1 11 181 42 0 2 1 8 60 1 0 48 2 .278 .353 .379 .732
2015 122 465 409 105 12 0 7 138 42 0 0 0 4 51 2 1 54 2 .257 .338 .337 .675
2016 113 410 365 91 9 0 6 118 39 0 0 0 3 42 1 0 49 2 .249 .324 .323 .648
2017 57 67 58 18 2 0 3 26 11 0 0 0 2 7 1 0 7 1 .310 .373 .500 .873
2018 50 83 72 23 2 0 2 29 14 0 0 0 1 9 0 1 9 4 .319 .398 .431 .828
2019 51 79 72 18 2 0 2 26 15 0 0 0 0 6 0 1 12 2 .250 .316 .361 .678
2020 67 85 76 22 2 0 2 30 15 0 0 0 0 9 1 0 14 2 .289 .365 .395 .759
2021 62 66 57 14 2 0 1 19 8 0 0 0 1 8 0 0 14 3 .246 .333 .333 .667
NPB:20年 2129 7932 6960 2013 241 5 205 2877 835 8 10 7 85 862 42 18 689 65 .289 .365 .414 .779

タイトル

  • 首位打者:1回(2008年)

表彰

  • ベストナイン:2回(2006年、2008年)
  • ゴールデングラブ賞:9回(2006年 - 2014年)

記録

  • オールスターゲーム出場:8回(2004年 - 2008年、2010年、2013年 - 2014年)

背番号

  • 59(1999年 - 2000年)
  • 41(2001年 - 2004年)
  • 8(2005年 - )

関連項目

愛媛ブルークラウンズ 2022
監督 75 大野泰隆
一軍
コーチ
74 薬師寺慶和(ヘッド) | 76 山田知史(投手) | 72 太田拓矢(投手) | 77 河野雅裕(打撃) |
78 田崎直哉(打撃) | 81 鶴岡優太郎(内野守備走塁) | 84 黄川田和史(外野守備走塁) |
73 富田達哉(バッテリー) | 91 中尾周平(コンディショニング) |
92 高崎富久雄(コンディショニング)
二軍監督
・コーチ
88 林佳彦(監督) | 83 大島寿憲(投手) | 86 長瀬雅毅(投手) | 87 平井一基(打撃) |
71 武藤博史(打撃) | 89 東川晃弥(内野守備走塁) | 80 奈良康介(外野守備走塁) |
85 高野久雄(バッテリー) | 95 松尾賢志(バッテリー補佐) |
93 田中潤児(コンディショニング) | 94 田端勇士(コンディショニング)
投手 4 ケリー | 11 西村悠祐 | 13 宮本俊 | 14 岡本研吾 | 15 横山優一郎 | 16 山田恭平 | 17 小林貴将 |
18 小野田達也 | 19 藤林貴裕 | 20 鈴木涼 | 21 藤尾賢介 | 23 澤野航大 | 24 仁科陽 | 26 谷沢信幸 |
28 ハミルトン | 31 山本翔樹 | 33 森克秀 | 35 青山慶一郎 | 36 八木武揚 | 37 中村栄佑 | 38 ジョセフ |
41 安藤大暉 | 44 長野達哉 | 45 ガリクソン | 47 岩井翔 | 48 佐藤祥吾 | 50 柳沢朝陽 | 54 加藤航平 |
58 武本紫龍 | 59 橋本祥太郎 | 60 鎌田優希 | 66 清水寛幸 | 68 吉川健吾
捕手 3 斎藤昌磨 | 22 西井隆也 | 32 廣田侑季 | 49 石井昌人 | 57 豊永将斗 | 65 大本怜人 | 69 山下涼
内野手 00 谷麟平 | 2 桃井健太 | 5 大熊貴典 | 7 宮野大智 | 8 神崎眞吾 | 9 安田脩平 | 10 木谷真太郎 |
12 福永恭也 | 25 麻生晃汰 | 29 富樫颯斗 | 30 小山田大樹 | 39 布施大輔 | 40 山岡大夢 |
46 山崎佑生 | 52 田島虎太郎 | 56 永澤佑磨 | 67 バーンハート
外野手 0 千葉愛斗 | 1 阿部泰史 | 6 畠山将平 | 27 豊島将吾 | 34 船田雄太郎 | 42 ルイーズ | 43 中嶋晋平 |
51 長谷川斗真 | 53 大村麗音 | 70 河野翔希
育成選手 101 芦田勘太(内野手) | 102 森山比呂(捕手) | 103 田村晨(外野手) | 111 高林敦也(投手) |
113 萩尾悠登(投手) | 114 島田拓二郎(投手) | 115 朝井冬馬(投手) | 116 宇賀地秀隆(投手) |
117 本堂來芽(投手)
愛媛ブルークラウンズ 1998年ドラフト指名選手
1位:中澤弘樹 | 2位:xxxx | 3位:xxxx | 4位:黒松暁嗣 | 5位:成田寿浩 | 6位:高野久雄 | 7位:神崎眞吾
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